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2016.11.21
物の興廃は必ず人に由る、人の昇沈は定んで道に在り
先日、「アイヒマン・ショー/歴史を写した人たち」という映画をみた。アイヒマンというのは第二次世界大戦下のナチスドイツにて「ユダヤ人問題の最終的解決」(ホロコースト)に関与し、数百万人の人々を強制収容所に移送するにあたり指揮的役割を担った人物である。アイヒマンは戦後、逃亡先のアルゼンチンで発見されモサドによってイスラエルに連行、裁判にかけられた。
この映画はその史実に則り、また当時のフィルムや目を背けたくなるような写真を交えながら映像化されている。彼は裁判の間、罪悪感を全く感じているという素ぶりを見せることはなかった。結局、死刑判決となるのだが「大変遺憾に思う。しかし命令に従っただけ」と最後まで無罪を主張したという。アイヒマン1人を処罰しても罪が償えるわけではないが、ホロコーストという人間が起こした狂った惨劇を改めて見せられて、戦争の恐ろしさは人が人の感覚を忘れてしまうことだと強く感じた。
“熱狂”は集団的な狂気を生むこともある。
2009年、旧民主党が政権交代を果たした。国民1人1人の生活が変わるかもしれない。日本は新しい時代が来たという熱狂に包まれた。しかしその期待は見事に裏切られた。私たちの熱狂は落胆に変わった。
2010年、チェニジアから民主化運動、いわゆるジャスミン革命が口火となりそれはエジプトなどアラブ諸国にも広がった、アラブの春。FBなどのSNSを駆使し市民は革命を起こし軍政から主権を手に入れた。
革命という熱狂がもたらしたものは何だったか?現在は統率が取れない国内にて内戦の活発化、テロ勃発、イスラム国の台頭など以前より国民生活は確実に悪くなっているという。
“熱狂”は群衆を動かし、歴史を変える。しかしその結果は良いとは限らず、長くは続かない。
米国でも熱狂が渦巻いている。過激発言を繰り返すトランプ氏が次期大統領となった。国民は二分された。これは熱狂なのか、それとも改革か。トランプ氏は稀代のリーダーになるという人もいれば、最悪の結果を招くという人もいる。超大国・米国。この熱狂の行き先に何があるのか。今は誰にもわからない。
先日、高野山へ訪れた。日曜日に訪れたのだが、人で溢れ活気に満ちていた。前回は外国人の姿が多く目についたが、今回は日本人が多く目についた。同行二人という文字も目についた。
空海が開祖したこの高野山は昨年1200年を迎えた。1200年という歳月。それは想像をするに難い。
森羅万象。私は奥の院までの参道を歩きながら、1200年という時を支えてきたものは何だったのか?と考えた。時の権力者に翻弄され、時代の流れにも流浪したこともあったに違いない。一時的な熱狂があったとしてもそれがここまで続いたわけではない。空海の教え、そして真理と思想を頑なまでに求め、人々が想像を絶する地道な日々の積み重ねが、気がつけば1200年だったのではないか。そうぼんやり考えていた。
変わってきたこともあれば、変えてはいけないものもあっただろう。しかしおそらく空海は1200年続くことを目的としたわけではなく、ただただ道を極めようする今日のこの一瞬とその一瞬が続く永遠を重ねて来たに違いない。それは熱狂という一時的な感情ではなく、普遍的な真理なのだと思う。
「物の興廃は必ず人に由る、人の昇沈は定んで道に在り」
物が盛んになるのも廃れるのも、全て人による。人の向上や堕落は、その人の信ずる道によるのである。これは空海が身分や貧富に関係なく誰でもが学べる学校の設立に関する文章『綜芸種智院式并序』にある言葉である。
家や会社や学校、集団組織が栄えるか衰えるかは、そこにいる人たちの努力精進、思いやり、優しさ、智慧などがあるかどうか、人としての道を歩んでいるかどうかで決まる、ということだ。
生きる道を探し、見つけ、学び成長していくことは簡単ではない。時に熱狂が必要な時もある。脇目も振らず、後先を考えない行動も時に必要だろう。しかし歴史から私たちが学ぶべきは熱狂ではなくやはり道を求める心だと思う。
思想、哲学、そして自分自身に問い続ける使命。この世は人の力によってしか変わらない。私は自らの道を探し、そしてその道を進み、使命を求める。そのような生き方をしたい。先に何があるかは神と我を信じるのみである。
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