(3)春の高山祭 子供の頃の思い出(2024.4.21)
「日本三大美祭り( 京都祇園祭、秩父夜祭、高山祭)」の1つ、高山祭が4月14日、15日で開催された。今年は日曜日が重なっていたこともあり外国人を含め多くの観光客で賑わっていた。
高山市に2019年を上回る16万8千人が来場(主催者発表)。天候にも恵まれ、桜も満開だった。
春の高山祭 「人出はコロナ禍前にほぼ戻る」 2日間で約17万人の観光客 岐阜
高山祭は4月14日、15日の日枝神社例祭「春の山王祭」と10月9日、10日の「秋の八幡祭」の総称である。「屋台」と呼ばれる山車を曳いて市街を巡行したり、からくり奉納、夜祭(山王祭は夜祭、八幡祭は宵祭という)など見どころも満載だ。
このコラムにて春祭りのことを書き上げようと思っていたが、私が小学生(5年か6年)の頃の出来事を思い出したのでそれを記す。
私が通っていた山王小学校は春の高山祭の日枝神社の近くにある。高山市立の小学校だからか、それとも日枝神社の近くだからなのかわからないが祭りの期間中、学校は休みだった。(どちらかが休みで、どちらかが日曜だったかもしれない。とにかく2日間とも休み)
小学生にとって祭りは年に1度のイベント。友達を誘って遊びに行くというのが定番だった。
とはいっても豪華絢爛な山車やからくりを見るのではない。歩行者天国になった商店街に所狭しと出店された「お祭り屋台」を巡ってブラブラと歩くことだった。
ベビーカステラやりんご飴など買って食べ歩くことが楽しかった。
祭りには先輩、後輩、他の小学校のヤンキーや喧嘩自慢、色々な奴が集まる。すれ違い、目が合ったとか合わないでお互いを意識した。そういう時代だった。(今思うと頭おかしいが)
祭りの初日、親からお小遣いをもらい、悪友とお祭り屋台が並ぶ商店街へ行った。ブラブラと歩いているとすると綿菓子の屋台で声を掛けられた。
「おい、にいちゃん達、手伝ってくれんか」と声をかけられた。一緒に来るはずだった人が急に来ることができなくなって1人でやらなくてはいけなくなったという。愛嬌があり、明るい男の人だった。
面白そうだったので「は、はい」と悪友と2人でその屋台に入り手伝いをした。
注文を受けて店主が作った綿菓子を渡し、代金としてお金を受け取る。大きなお金だったらお釣りを渡す。大人になった気分でとても楽しかったのを覚えている。
暇な時間になると色々と話をしてくれた。地方の色々な祭りへ行っていることや、綿菓子の美味しい作り方など。
とても楽しい時間だった。そうしていると
「珍しいものを見せてやろうか」と背中を見せてくれた。青一色で立派な絵が描かれていた。
「へー、体に絵が書いてある。何これ?」と私は言った。
すると「石鹸で洗えば落ちるけどな」とその人は大きく笑った。夕刻の時間になり薄暗くなってきて、私たちは帰る時間になった。
「今日は助かった。ありがとな」と缶ジュースをもらった。
「明日も手伝ってくれよ、おじさん、待っているからな」とその人は言った。とても楽しい時間だったので「明日もまた来るよ」とタメ口でその場を後にした。
家に帰り、夕食時、その日の出来事を親に話をした。すると親は血相を変えて
「明日は祭りに行ってはダメ、家にいるように」と強く言った。
楽しいお祭り屋台はテキ屋という商売で、体に描かれていた絵は刺青で、工場で落としたという小指は、そんな理由ではないということを知ったのはもっと後だった。
次の日、あの人、一人でちゃんとできてるかな、行くと約束したけど待ってるんじゃないかなと気が気ではない1日を過ごしたことを覚えている。
どうして今になってこの出来事を思い出したのかはわからない。
来年は必ず祭りへ出かけよう、そう思った次第。
最高経営責任者 蜘手 健介
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