スタッフブログ
2015.04.06
4月、良いスタート!
昨日までの2日間、岐阜店、高山店主催のリフォームイベントが行われました。
それぞれ盛況でした。ありがとうございます。
春から良いスタートが切れました。
Robinの蜘手です。
4月6日は城の日だそうですね。テレビで岐阜城のことを放送していました。少しまとめてみました。
4月6日は城の日らしい。
岐阜城というのは岐阜にはある。私も岐阜出身であるにもかかわらず、無知であるので岐阜市の紹介HPから引用をしたい。
「岐阜城といえば金華山(きんかざん)山頂に位置し、1201年に鎌倉幕府執事二階堂行政により初めて砦が築かれたといわれています。岩山の上にそびえる岐阜城は、難攻不落の城としても知られ『美濃を制すものは天下を制す』と言われるほどでした。戦国時代には小説「国盗り物語」の主人公である斎藤道三の居城でもありました。その後、永禄10年(1567年)に織田信長がこの城を攻略し、城主となりました。信長は「井の口」と呼ばれていた地名を「岐阜」に、「稲葉山城」を「岐阜城」に改めたといわれています。
天正4年(1576年)に岐阜城を息子信忠に譲るまでの間、「天下布武」の朱印を用いて天下統一の志をかかげ、城下町の復興に力を注ぎました。楽市楽座の保護など当時としては斬新な政策により岐阜城下は大変な賑わいでした。1600年、関ヶ原合戦の前哨戦の際、信長の孫 秀信が西軍に味方したため、東軍に攻め入られ、激戦の末落城し、天守閣・櫓等は加納城に移されました。」以上ここまで。
織田信長がまだ天下統一を果たす前のこと。かって美濃(今の岐阜市美濃地方)の戦国大名であった斎藤道三が城主であった岐阜城を織田信長が攻略し城主となった。
若き信長はその岐阜城に入城し眼下に映える美濃の国を見た時、「これが道三が見ていた風景か」と感嘆したという。
しかし難攻不落の岐阜城は山頂にそびえ敵からの攻撃を受けにくいという防衛のメリットは大きかったが、山頂ゆえ民衆からは遠く、今何が起こっているかがわからないと信長は漏らしたという。こうやって高い位置にいると見晴らしがいい。そして時が全てが平和で、そして時がゆっくりと流れているように見えたのだろう。まだ若かった信長はここに安住をして年を歳を重ねることをよしとしなかった。信長の野望は「天下布武」である。
攻めるには見晴らしのよい高い位置ではなく、民と近くにいることが重要だと考えたのだという。結局、岐阜城に入城したものの定着することはなかった。
破天荒なイメージのある信長だが、しっかりと民衆の近くにいるということへの意識は常に持っていたということはまた彼の一面である。徹底した現場主義者であったのだろう。
私の周りの経営者でも「社長室を持っていない」という人は意外にも多い。または社長室はあるが、普段は社員と同じフロアで仕事をしているという経営者もいる。
近くにいたからといって、現場で何が起こっているかがわかるわけではない。しかし現場での空気感は高い場所にいては感じることはできない。組織の上にいると気持ちのよい報告が多く聞かれる。集客はよい、契約率も順調、目標達成も近い。しかし現場での細かな緩み、油断、驕りは危機感として漏れてはこない。経営者が把握しておかなくてはいけないのは、社員の作っている空気感と顧客への対応の姿勢である。
リーダーとして必要な資質として現場の近くにいて肌で感じること、直感を磨いていくことを磨いていかなくてはいけないだろう。
「モノ作りの基本は全て現場にある」
この現場主義の価値観は、今の私自身への強い戒めでもある。
CATEGORYカテゴリー
SERVICE
ロビンのリフォーム・リノベーションサービス一覧
ロビンは、換気扇レンジフードの交換リフォームから、設計士がご提案するフルリノベーション、注文住宅まで幅広く対応しております。
それぞれのサービスの紹介、施工事例、お客様の声などをご覧ください。